2025/1/20

あれから30年

↑川べりの散歩道。
 
 
1月17日、阪神淡路大震災から30年。
 
ここ宝塚市でも、建物の倒壊がひどい場所もあり、多くの方が亡くなられたと聞きます。
 
私は当時、神戸市西区に住んでいました。
早朝、ダンプカーが家に突っ込んできた!かと思い、飛び起きました。
激しい揺れに死を覚悟しました。
寝ている時にくる揺れがトラウマになったのか、それから夜行バスに乗るのが怖くなりました。
 
当時は看護大学生、学校も休みになり、神戸市須磨区の小学校に2か月ほどボランティアに通いました。
須磨区、長田区は火事がひどかった場所です。
一面の焼け野原、門柱と表札、壊れた門扉だけが残っていて、確かにそこに人が生活していたことを感じさせる、そしてその暮らしが突然奪われたことを突き付けられる光景。
避難所だった小学校の教室、段ボールで仕切られた狭いスペースにたくさんの人が暮らす光景。
鮮明に脳裏に焼き付いています。
 
以前は、辛いこと、怖かったことは、早く忘れてしまおうと思っていました。
毎年1月17日前後に組まれる、テレビや新聞の特集を見るのが嫌な時期もありました。
 
が、忘れられるものではありませんし、今は忘れる必要もないと思っています。
あの時の経験があるからこそ、災害で辛い経験をしている人に思いを馳せることができます。
 
30回目の1月17日。
あの日の記憶をたどりながら、黙祷を捧げました。