2025/8/15

言葉をつむぐ

↑サンゴジュの実。名前の通り真っ赤な珊瑚のよう。
 
 
今、NHKのドラマ、三浦しをん原作「舟を編む」を見ています。
 
出版社に勤める20代の女性が、大好きなファッション誌の廃刊に伴って、異動した先は、なんと辞書(国語辞典)作り部署。
 
しかも、紙の辞書。
 
デジタル一直線の世の中、地道に辞書を作る人たち。
そこで、戸惑いながらも辞書作りの魅力に気づいていく、イマドキの若者。
国語が得意なわけでもなく、読書の習慣もない。
だからこそ、素朴な疑問や気づきが生まれます。
 
そう言えば、私が専門書以外で、辞書を使ったのはいつ以来でしょうか。
以前は、よく開いていた辞書もどこかへ消え去り、何かを調べる時は、スマホかパソコン。
鬱陶しい宣伝広告の間に書かれている説明文をさっと拾い読み、です。
 
ドラマの中で、ある時、知らないうちに「〇〇なんて」を多用していたことに気付く主人公。
「私なんて、無理です、できません。」
恋人には「バイトなんて休んじゃえば?」「写真なんていつでもとれるよ」
 
彼女は「なんて」を辞書で調べます。
この副詞は、ここに書ききれないほどの意味を持つのですが、そのひとつに「ある事物を例にして、それを軽んじたりすること」という意味があります。
彼女は気付きます。
自分自身だけではなく、大切な人が大切にしていることも、無意識のうちにに軽んじていた、と。
 
この場面にドキッとさせられた視聴者も多かったのではないでしょうか。。。。
誰しも無意識に多用している言葉がありますから。
 
文法を正しく!間違った言葉は使わない!なんて身構えると、
かちっかちになって、話すことも書くこともできなくなりますので、堅苦しく考えるのも窮屈です。
が、言葉にはそれぞれ意味があり、その意味を大切にしたいな、と改めて思います。
 
言葉が情報となって洪水のように溢れかえっている、乱用されている、そんな時代だからこそ、心に響くドラマです。