2025/11/21

104年の歴史

↑色とりどり。祖母は花が大好き。
 
 
先日、祖母が104歳になりました。
 
104歳になるって、いったいどんな気分なのでしょう。。。。
 
祖母は、岡山県で生まれ育ち、女学校を卒業後、上京。
逓信省(のちの郵政省)で働き、祖父と結婚。
祖母が私の母を妊娠した頃は、第二次世界大戦のさなかで、祖父は出征。
当初は、渋谷区広尾にあった日赤病院で出産する予定でしたが、妊婦は疎開するようにとのお達しがあり、あと1‐2か月で出産という時に、汽車を乗り継ぎ岡山の実家に帰ります。
 
岡山に戻った祖母が、私の母を出産する3日前、東京大空襲がありました。
住んでいた地域は焼け野原に。
自宅も、そして日赤病院も消失。
 
もし、祖母が岡山に疎開していなかったら、私はこの世にいなかった可能性があると思うと、ありがたいような恐ろしいような、そんな気持ちになります。
 
戦後の混乱や高度経済成長、バブル崩壊、エトセトラ。
コロナ禍まで経験して、「三密」だの「ソーシャルディスタンス」などの新しい言葉を覚えた祖母。
大正に生まれ、昭和から平成を生き抜き、まさか令和まで!と言っていたら、もう令和7年。
歴史の生き証人です。
 
人生の長い旅路。
どこまで続くのかわからないけれど、日々歩みを続ける祖母。
頑張れ!というのも酷のような気がしますが、やっぱり会いに行ってかける言葉は、「頑張ってね」なんですよね。