2020/1/19

あれから25年

↑冬の寒さの中で凛と咲く椿。
 
 
1月17日、阪神淡路大震災から25年を迎えました。
当時私は、看護大学生。神戸市西区で一人暮らしをしていました。
 
幸い、住んでいたハイツは無傷でしたが、断水と停電が続いたこと、1人でいることの恐怖もあり、加古川市に住む友人の家に一か月ほど居候をさせてもらいました。
 
大学は休講となり、避難所となっている小学校へ看護師として派遣されていた先生に声をかけていただき、2ヵ月半、神戸市須磨区の板宿小学校で炊き出し、支援物資の整理などのボランティアをさせてもらいました。
長田区や須磨区は火災の被害が大きかった場所、焼け野原になった地に呆然と立ち尽くしたことを今でもはっきりと覚えています。
 
避難所では、避難生活をされている方々から、たくさん話を聞きました。
でも私の口からは言葉がうまく出てきません。
励まそう、なぐさめよう、そんな思いはあっても。
 
そんな時に、あるおじいさんに言われました。
「毎日明るい笑顔で来てくれたらそれでええんよ。
それに救われるから。」
 
そのおじいさんの言葉は、今でも患者さんと関わる時の大きな指針になっています。
 
毎年この時期になると、あの時に感じた恐怖や悲しみ、やるせなさなどの感情と共に、人と人の繋がりの中で感じた温かい気持ちも同時に思い出します。